日米交流
Japan-US Encounters Website
History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

小笠原長行の鎖港通告と各国の反応

生麦事件の賠償金44万ドルを支払った文久3(1863)年5月9日付けで、老中格・小笠原長行からアメリカ公使・プルーインやイギリス代理公使・ニールのもとへ、「京都に滞在する将軍の命により、我が国民は外国との交易を望まず、開港場を閉鎖し外国人の退去を命ずる。君命によりこの交渉役を命じられたが、詳細交渉の前に、まずこの書簡をもって通告する」という書簡が届いた。

♦ アメリカ公使・プルーインの返答

アメリカ公使・プルーインはこの小笠原長行の書簡を読むや、直ちに返書をしたため、その日の内に1863年6月24日付けの書簡で厳しく警告した。いわく、

3港の鎖港と日本からの外国人退去に関する帝(みかど)と大君の命令を実行に移す全権を与えられた、と通告する貴殿の書翰を本日受領した。3港において合衆国市民が居住し貿易を行う自由を許可する厳粛なる条約が、日本と合衆国政府により取り交わされている事実をはっきり明言するものである。こうして獲得された権利は、解除できるものではなく、撤回できるものでもない。そう提案する事でさえ我が国に対する侮辱であり、戦争の宣言に値するものである。

貴殿の書翰を合衆国大統領に送付せざるを得ず、驚愕と悲嘆と憤慨の情にまみれた大統領により読まれるであろう。

帝と大君の決定が若しその通り実行されるなら、日本と全條約国との戦争にならざるを得ない。成功の望みは全く問題にならず、この全盛を極める帝国を廃墟にするのみである。この厳粛なる責任の意図的な無視は、何を以てしても正当化できない。その実行の試みは、全くの愚行以外の何者でもなく、弁護の余地のない自国の力に対するうぬぼれであり、同時に圧倒的な西欧諸国の力を見せ付けられるだけである。

更に一言だけ付け加えたい。現在ここに駐留し続いて来航する合衆国海軍の保護下で、合衆国市民は日本に留まる。万一その生命や財産が危険にさらされたり攻撃されれば、最後の1人に至るまで防御されるだろう。

貴書翰とその内容に対しこう厳粛に断言し、その結果の如何なる帰結も、この事による合衆国市民の全損失も、貴政府の責任に帰す事を宣言するものである。

この様に、かってアメリカから聞いた事もないほど厳しい言葉が並ぶ返書だった。

♦ イギリス代理公使・ニール返答

びっくりしたニールは、翌日5月10日付け、即ち1863年6月25日付けで次のような返書を送った。

大英帝国女王陛下の代理公使である本官は、同僚と共に非常な驚きを持って、将軍が命じたという貴殿からの意外な通告を受け取った。

何の詳しい説明もつけないこの無謀な通告はさておき、開港した港を閉鎖し、条約国の人民を退去させるという貴殿からの決定通告が、日本に悲惨な結果をもたらすという事実にこの国の天皇と将軍は全く気付いていないように見える。

日本の条約義務を最も効果的に保持し履行させ、更に、遥かに満足できる堅固な足がかりを築くため、ほとんど疑いもなくイギリスが採用するであろう、容赦なく抵抗できない手段に訴えるという重大で差し迫った日本の危機を、この国の統治者がなんとか修正し緩和させ得る能力をまだ備えているか、大英帝国女王陛下の在外代表である本官はまず知りたい。将軍又は天皇によりあるいは両者により、今のところ内密にされているかも知れないが、合理的で受け入れ可能な危機緩和の実行計画が、当方に至急通知され明らかにされねばならない。

従って貴殿からの通告の結果、当然の成り行きとして女王陛下政府の決定がなされるが、将来に亘り全ての決定事項が実行される中で、今は控えられていてもそれが無益に終わる事があり得ることを、この国の統治者に厳粛に警告することが本官の義務である。

貴殿が以上のことを将軍の耳に達し、将軍は必ずそのことを天皇に奏上するであろうことを期待し、今回の貴殿からの軽率な通告は、文明国や非文明国に限らず各国の歴史にかってなかったことであり、事実それは全条約国に向けた日本からの宣戦布告であり、その結果、最も厳格で当然な懲罰で償いをせねばならなくなることを、本官はとりあえず貴殿に伝えねばならない。

同様の通告がフランス、オランダ、プロイセンにも出され、夫々の公使達から、同様に宣戦布告と解さざるを得ないとの書簡が届いた。

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07/04/2015, (Original since 07/07/2011)