日米交流
Japan-US Encounters Website
History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

オランダ商館長・クルチウスの見解を内密に聴取

アメリカのペリー艦隊に対処するため、長崎奉行が内密にオランダ商館長・クルチウスの意見を聞いた。これは、ペリー提督が日本側にアメリカの国書を渡していったん退去した後、幕閣首座・阿部伊勢守が新長崎奉行・水野忠徳に直に命じ、長崎でオランダ商館長・クルチウスと軍艦の発注交渉を始め、また将軍・徳川家慶の薨去のため国書回答の遅延すべきを米国政府に伝えて貰いたいと依頼した頃である。またペリー艦隊が二回目の来航で、全艦隊の7艘が浦賀を通り越し小柴沖に投錨する約3ヵ月程前の事である。

嘉永6年10月1日、即ち1853年11月1日、長崎奉行・大沢豊後守と水野筑後守はオランダ商館長・クルチウスを奉行所に招き、筑後守が質問を開始した。いわく、クルチウスが約1年前に長崎に赴任して以来説明した、オランダ国王・ウィレム3世の言葉をジャワ総督が筆記したという名目の書簡の中にあるアメリカ艦隊が、実際に6月に浦賀に来てアメリカの国書を差し出した。これは兼ねて見込みの趣もあるから当方で処置する積りである、と述べた。更に、日本の国法はオランダも既に知っての通りであるが、アメリカ艦隊要求の取扱いについて腹蔵のない意見を聞きたいと、種々の質問を始めた。これ以降合計4日間にわたり、水野に代わり奉行配下の支配勘定格手附役人とクルチウスとの間での会話である。いわく、

質問・1、アメリカの取扱いに付き腹蔵のない意見を聞きたい。
(答)昨年提出の書類は国王の言葉を都督(=総督)が筆記したものであり、何か不明な点があればお答えしたい。

質問・2、昨年の筆記中に、「日本の患(=患難)を除くため、外国人に対する考えは緩くするように」とあるが、これはどういう意味か。
(答)外国諸州の航海が盛んになり、殊に近来はアメリカのカリフォルニアから唐国やロシアのカムチャッカやサンガー辺りを往復する蒸気船があり、日本はその通路にあたり、敢えて患難を与える積りはなくとも、日本に石炭置き場を設置したいと希望し通信交易を行いたいとの思いである。外国諸国の活動が活発になっている折柄、アメリカに派遣されているオランダ大使からの情報では、アメリカは非常に熱心である。こんな世界情勢からみて、諸外国はこぞって自由に日本周辺に来航したいと思っているが、北アメリカは殊に真っ先に行いたいと思っている。この様に諸国の船が来て夫々に希望を述べるが、それらを一切聞かなければ戦争の端を開く事になり、そうなれば重大事である。従ってオランダ国王は考えを巡らした上で、日本の国法を緩める様に忠告したのだ。ヨーロッパ諸州では一応決めた法律でも、衆議の上で臨機応変に法律を変更する。日本にも昔は諸外国の者どもが渡来したのであり、今回外国と通商を許しても、全く国法を変える事にはならないと考える。この様に少し緩めることが肝要で、これが日本の安全のための計策と思われる。

質問・3、筆記中に、「日本で堅持する法度に無関係に安全策として考え出した一つの方便がある」というものは何であるのか。
(答)諸外国人の趣意は日本の何処へでも勝手に出向いて日本人と同様に商売をしたいというものだが、そうなっては必ず日本の国法に違反する事と思われる。従ってオランダ人や唐人と同様に、商売をする場所を決めておくべきである。既に唐国では、最前は日本同様外国人を寄せ付けなかったが戦争になった末に交渉があり、広東その他五港程で外国人が勝手に出入り出来る様になった。この様な戦争になってからでは面白くない。これが先般オランダ国王が考慮の上忠告したもので、安全の方便以外の他意はない。

質問・4、日本は国土が小さく人口が多いが、国民が必要とする物に不足はない。しかし、貿易で外国に渡す余裕もない。
(答)日本の二百年来の法度は外国諸州でも知っているが、近来の世界情勢では、これまで同様のやり方は聊かも通用しない。元来外国の内にも昔は日本同様の風儀であった国も、長年の練磨で法を改め、それが良策であることを知り、現在では富国強勢の基を築いている。既にイギリス、フランス、ロシヤ、オランダ等は全くその部類の国である。昔は日本と同様の国も始めから一気に開いた訳ではなく、始めは徐々に許し、良策だとの確信を得て拡大したのである。日本も一時に開港はせずに、先ず試しに一か所ほどを許可してみるのが良策と思われる。
国法は変えられないとのお考えではあるが、日本全国で外国との自由交易を許す事は国法に違反するであろうが、特定の場所を定めその地限りで外国人との通商を許せば、国法を変えるという考えにはならないであろう。殊に日本も先年はオランダ人や唐人に限らず外国人と通商した事もあった訳で、今許したとしても少しも国法を変える事にはならないと考える。

質問・5、我が国では国民が必要とする品は自然と備わっていて不足する物は無い。ここで他国と交易をすれば、その品が即不足に陥り我が国の利益にはならない。昔外国と交易があったのは日本に戦争があった時代で、混乱に乗じて交易があったのだ。
(答)その主意は分かった。外国との通商は現在オランダや唐人に渡している品のみに限るのではなく、差支えの出た品はお沙汰を頂けば、差支えのない他の品を申し立てる事になると思う。
日本政府には売れる品はないとのお沙汰が出れば、政府では取り扱っていない工商の品々は、商人に言えば沢山持ち寄ると思われる。
外国では日本の産物を入手したいだけではなく、万一日本に飢饉などがあれば、外国から米穀等も持って来たいと考えている。
国産については、時の需要により開発されていない山野も開けば潤沢になる。既に唐国では茶が払底したが外国の需要が強く、一時は自国の消費分さえ不足すると危惧された。外国の需要が増々広まったが、自国民が不自由を受けたのではなく、最近は未開発の土地を耕し、現在は外国商売は勿論国中の茶が以前にも増して潤沢になっている。国産品については、その著書も出ている。
通商を永久に拒否すると言う議論は、未然には決め難い。これを試行した後でなければ談判にはならない。
お沙汰のご趣意と私の考えとは、全く表裏の如く食い違っている。

質問・6、外国から日本に第一に求める物は何だと思うか。
(答)個人的な考えでは、アメリカが第一に求める物は石炭置場と船舶修理場所の様に見える。その次には通商であろうと思われる。

質問・7、最前から繰り返すように祖法は変えられず、通商をしなくとも国内の過不足はない。新しく法を変えてまで国民の煩いを求める必要はない。どう考えるか。
(答)患難法を犯すと言う諺がある。この意味は、時に応じ止むを得ぬ事態に際しては変えざるを得ないと言う事である。正しくないと思っても、その時の物事の状況になってしまう訳である。

質問・8、筆記中にカピタンが取り扱うとの事が述べてあるが、日本人がいる所では例えば敗北すると見て忍び難くなれば仲裁に入り調停し無事に扱う事なのか。そうならばここはこうとしてと、全て取扱う事もあるのか。
(答)カピタン取り扱いと言うのは昨年の書面の評議を言うのみで、敢えてそれを取り計らうと云うものではない。

質問・9、外国人が望むものは主としてどんなものか。
(答)カピタンの個人的な推考では、アメリカ人の志望は日本から石炭を買い、あるいは石炭を外国に輸送して保管し、あるいは保管したものを運送のため保管場所に出入りしたい事と思われる。

質問・10、石炭が必要との事だが、それ一品が入手できればそれで終わりという事か。
(答)自分は何とも言えない。アメリカ人は石炭置き場だけで一応は納得するかも知れないが、その後商売などの事をペリーと応対しなければならなくなるかも知れない。

質問・11、日本にとっては交易の利が無い。(筆者注:長文を省略)
(答)そうかも知れないが外国人は信用しない。現在は外国中で双方を往来する蒸気船の運用が極めて盛んになり、日本とも信を結び、そこを石炭置き場や難風に会った時の避難場所にし、あるいは薪水食料を望み、併せて船舶修理の場所が無ければならないと、是非もなくそれを実行する時勢になった。まず外国人などの志望を聞かなければ、必ず戦争が始まる心配がある。こんな状況をオランダ国王が甚だ懸念し、筆記を差し出したわけである。

質問・12、難破船救助はこれまで通り行うが、日本には石炭置き場や船舶修理場所等貸し与える余裕はない。それをただ外国が自国の利益のみ優先し我が国の事情も考えず、終には戦争をすると言うのなら、甘んじて戦争をしよう。義のあるところの止むを得ずの義である。外国でも自国さえ利があれば、他国に害があっても問題ないと言う主意なのか。
(答)是非の事は国々の政府同士が議論すべき事であって、何とも返答できない。ただ国王の趣意は日本の長久の安寧を望むところからの事で、他意は何もない。

質問・13、日本の国法を変えられない事は伝えている通りだが、カピタンの言う事も止むを得ない事にも聞こえるので、石炭置き場と薪水食料、船修理場所等については御老中方に申し立てる事になろう。カピタンも先方に伝えて貰いたい。日本ではこれらの事は奉行から御老中方に申立て、それから上に申上げる手続きになる。更に全国の諸侯との評議がある。諸侯は国元に居て隔年の参勤交代をするから、急に評決にはならない。奉行は老中に面接して説明しなければならないし、外国への通報を依頼した通り将軍の薨去の処理もあり、長い手続になる。評議が終わらない内にアメリカが渡来しても困るから、配慮して貰いたい。
(答)了解した。ジャガタラ頭役に伝える。(筆者注:長文を省略)

以上の様に、配下の支配勘定格手附役人がクルチウスから聴取した内容を、長崎奉行・水野忠徳が慎重に検討しながら更なる指示を出して質問させ、4日間もかけた会見だった。この情報は即幕閣に報告されたが、老中首座・阿部伊勢守の最終決断に影響を与えたであろう事は疑いの余地は無い。

この様に外交に関わる意見を述べるオランダ商館長・クルチウスは、当初ジャワのオランダ領東インド総督が行った新商館長の人選時からその能力が買われて選ばれたものだろう。それまでの歴代出島商館長の貿易一本の責任から、大きく異なった外交問題の処理能力が問われる時代に突入し始めたのである。日米和親条約締結後、オランダから交渉使節が来なくとも、日本側からいち早くアメリカと同等に「薪水食料の給与や破船修理のため下田・箱館を開港」され、「長崎の交易はこれまで通り」と保証された。しかしそんな中で筆者の興味を引く問題は、これ以降オランダが幕府の外交顧問的役割を担おうとすれば大きなチャンスがあったと思われる時期に、幕府にそれ以上の影響力を与えようとしなかったように見えるオランダ政府の消極的な方針である。何故オランダは消極的だったのか、大いに興味の湧く問題である。

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09/14/2016, (Original since 06/15/2015)