日米交流
Japan-US Encounters Website
History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

ペリー提督による東インド艦隊の大幅増強要請と受理
(『ペリーを訪ねて』、中野昌彦著、東京図書出版会、2006年4月、 ISBN4-86223-017-2、P. 61 から引用)

オーリックは、一八五一年十一月十八日付けで、グレイアム海軍長官によりあっけなく更迭され、翌年一月にペリーが任命された。ペリーはこのチャンスを捕まえて、自分が練りに練った作戦に従って大艦隊の増強を申請し、受け入れられている。その最終決定の直前、一千八百五十一年十二月三日、ペリーはグレイアム長官へ宛てて長文の手紙を書いた。いわく、

・・・信頼できる幾つかの情報によれば、海軍省が私を(東インド艦隊の)指揮官に任ずるべくその準備をしているということですが、いま私自身の希望に関して正直に言えば、地中海に赴任できないことは私にとって大きな失望で、また個人的な不都合が生じます。海軍士官が必要とされる任地に赴くことは義務でありますが、より大切な使命や、政府の期待している(日本開国の)件を成功裏に遂行出来る必要な軍事力無しに、単にオーリック提督の代替や後任として行くのであれば全く気乗りしないことを述べさせて下さい。階級と指揮権が上がることが海軍士官にとって最大の動機です。・・・それ故、この熱い情熱を持った士官が大きく深く育て、常に向上しようと心がけている志から見て、私よりずっと若輩で、二回目のメキシコ艦隊では部下でさえあったオーリック提督の後任としての赴任は降格である、と私が思うことはあながち意外なことでは無いと思います。前にも述べましたように、東インド艦隊の活動範囲とその軍事力が、その司令官に栄誉を与えるに充分な規模に拡大されるなら別の話です。
と率直に自分の思いを伝えた。誇りと名誉を前面に出してグレイアム長官を口説いたのだ。
グレイアム長官は、かってない大艦隊の編成を約束し、当時限りのあった蒸気軍艦を一度に五艘も日本派遣に組み込み、帆走軍艦も大幅に追加した。

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07/04/2015, (Original since 04/25/2014)