日米交流
Japan-US Encounters Website
History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

将軍・家定のピアース大統領宛親書(安政5年5月6日、1858年6月16日)

老中・堀田正睦は自身で上洛し、アメリカと修好通商条約を締結する勅許を申請したが最後まで朝廷の許可を得られず、「更に諸侯と衆議せよ」と差し戻されてしまった。窮地に立った堀田は、将軍・家定の親書をピアース大統領に送り調印の先延ばしを図った。親書いわく、

肅(つつし)みて亜墨利加合衆国大統領ピールセ殿下に返答す。貴国、先年以来度々両国の親睦を求めるは満足せり。且つ、この度コンシュルハルリスを遣わし、使者として書翰を持参せしめ、両国の人民に交易を通じ永く安寧ならしむる事を謀る紙面の趣、ねんごろなり。因りて條約の草稿を以て示すべき所なり。然れども、その期限を緩うせざるを得ざるは、我が国中相会して評議する事あればなり。幸いにこれを諒察せよ。併せて貴国の安全を祈るなり。
安政五年戌午五月六日
日本国源家定 (朱印)

と、条約草案は作ったが、更に衆議する必要が出たので、調印は暫く待って欲しいとの要望を伝えたのだ。

しかしこの時点、即ち、1858年6月16日のアメリカ合衆国大統領は、1857年3月4日付けで、ジェームス・ブキャナンが新大統領になっていた。下田に居たタウンゼント・ハリスのもとには、この情報はまだ届いていなかったようである。

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03/18/2018, (Original since 07/28/2010)