日米交流
Japan-US Encounters Website
History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

ペリー提督の任命 ― 新聞報道 ―

1852(嘉永5)年2月、ペリー提督が東インド艦隊司令長官兼日本派遣使節に任じられると、ニューヨークの主要新聞にその報道がなされた。ここに引用するのは1852年2月7日付け「ニューヨーク・デイリー・トリビューン紙(The New-York Daily Tribune)」と1852年2月16日付け「ニューヨーク・ヘラルド紙(The New York Herald)」の記事であるが、どちらも詳細判明以前の速報的な位置づけである。

 1852年2月7日付け「ニューヨーク・デイリー・トリビューン紙」の第6面記事

ペリー提督の任命と日本遠征の決定を伝えるニューヨーク・デイリー・トリビューン紙の記事いわく、

ワシントン
N.Y.トリビューン特派員、ワシントン、1852年2月5日、木曜日

 ペリー提督はワシントンに居るが、東インド艦隊の司令官として出発する。彼は、現在上院議会の審議に提出されている、実施が中止になった鞭打ち刑に代る新らしい海軍の規律を確立する法案が可決されるのを待っている。日本に関しては、ペリー提督に特別命令が発せらるものと理解されている。政府首脳は、日本水域で示威行動を取る事に決定した模様で、ペリー提督は、日本人に対しある種の 開けゴマの呪文 を試すために選ばれた人物である。政府首脳は「日本の、我がカキ殻をナイフでこじ開ける」事まで決心しなかったかどうかは不明である。

 若しアッと言う様な事が起き、達成結果を記念する安っぽい印刷物で海軍省の壁一面を飾り立てるとしたら、ペリー提督は適切な人物である。ワシントンの海軍省の廊下を通り、タバスコ遠征の有名な英雄的行為の素晴らしい挿絵を見なければ、世界の人々にはタバスコとペリー提督の栄誉が全く分かりらない。しかし我々は、こんな挿絵の中の何処にでも描かれる、提督にとって不愉快なほど騎士的なアルバラード・ハンター大佐の無血の企ては覚えていはいない。

 この日本向け活動が動き出した事は、我々にとり嬉しい事である。若し海軍が有効な努力をするなら、喜ばしい話題である。これは、年間1千万ドル以上の費用が掛かるが、我々は通常、栄誉のための費用は負担すべきである。

この様なペリー提督の任命に関する短い記事ではあるが、アメリカ政府の基本作戦として、海軍軍事力を使った「示威行動」の決定を伝えている。「日本の、我がカキ殻をナイフでこじ開ける」とは実際の軍事力行使を指すが、自衛以外には軍事力を行使しない事もまた政府決定であったが、ここまではまだメディアに伝わっていなかった様である。この「タバスコ遠征」とは、1846年から始まった米墨戦争の最中、ペリー提督の率いる蒸気軍艦・ミシシッピー号を旗艦とするアメリカ海軍勢が、メキシコ南東部のユカタン半島付近にある、現在はグリハルバ川(Grijalva River=Río Grijalva)と呼ばれる当時のタバスコ川(Tabasco River=Río Tabasco)を遡上し砲台や城郭を攻撃し勝利した戦闘で、戦場画家が描いた多くの絵画として残り、その功績が賞賛されたものを指す。

本文にも書いたが、この新聞に記事が出るほゞ2ヵ月前の1851年12月3日、ペリーはグレイアム海軍長官へ宛てて長文の手紙を書き、単にオーリック提督との交代ではなく、日本開国という目的を達成するに充分な軍事力即ち軍艦数と権限を与えて貰いたいと述べ、海軍長官に受け入れられている。従って、この2ヵ月間にアメリカ政府の細部に渡る最終決定がなされたわけである。

 1852年2月16日付け「ニューヨーク・ヘラルド紙」の第2面記事

ペリー提督の任命と日本遠征の決定を伝えるニューヨーク・ヘラルド紙の記事いわく、

ニューヨーク、1852年2月16日、月曜日
政府の日本遠征

 数週間前、一人の我がワシントン駐在特派員から電報で、政府は強力な海軍遠征隊を日本向けに送る決定をしたとの報告があった。その後この報告は、外の幾つかの同じ主題に関する報告で裏付けられ、あるものは非公式ではあるが、我々は噂の遠征を事実として取り扱う事にした。

 最初の内容調査は ― この遠征隊の目的は何か?誰が指揮するのか?どんな規模なのか?である。我々に判明した事は、3艘の蒸気軍艦 ― プリンストン号、サスケハナ号、サラナック号 ― と数艘のスループ型砲艦から成り、ペリー提督により指揮される事である。蒸気フリゲート艦・サスケハナ号は昨夏の早い時期に、大統領命令により、特別任務を明示する国務長官の指令書と共に日本向けに派遣され、それは、最近のアメリカ人船員に対し行われたある種の暴力行為への賠償を日本に要求するという事と理解される。更に、日本での投獄から逃れ出た我が船員の申し立てから、日本で投獄されている人々がまだ居るかも知れない事が憂慮される。若しそうならば、この遠征隊の主目的は、海軍力の示威作戦によりこれら島国の野蛮人たちの尊敬に訴え、彼らを救出する事である。この遠征隊は、インド海やシナ海水域の商業一般に関わる調査と、特に日本列島とある種の相互通商を開くと云う様な、その外の幾つかの目標が見込まれる。

 しかしながら、あらゆる東洋の独立国も含めたこの種の通商の企ては、この市の商人であるエアロン・H・パーマー氏の長年に渡る十八番(おはこ)である。彼は今まで、こんな人々との我が通商拡大の重要性をテイラー将軍(筆者注:ザカリー・テイラー大統領)の内閣に印象付け、大統領に推奨して、貿易を検討するに値する支那、日本、そしてアジアの全沿岸諸国へ向けた特任通商官の任命を勧めて来た。この使節団は実現しなかったがしかし、この日本向け遠征は綿やタバコ貿易の新市場を開拓するというニューヨークの商人仲間から起った同種の企画である事を我々は否定しないが、それはまた政府による大統領の政治力強化を狙ったものかも知れない。陸軍や海軍に雇用や栄誉をもたらす事を画策する政府のどんな活動も、政治的衝撃を与えるには良策である。

 とにかく、この遠征は海軍の通常経費に、有ってもごくわずかの追加があるだけで、― 東方にある半野蛮な諸国間に、西側諸国と方針が一致する我が国旗への尊敬の拡大に貢献するだろうし、日本とその他の東洋諸国の人民との間の重要な貿易開始に向け何らかの貢献があるだろうし、我々の実用知識の拡張や、彼らの領域以外には今までほとんど知られていない国々や民族間に我が国家の影響力を拡張出来るかも知れないので、この遠征に反対はあるまい。それは安価な実験であろう。それは無害であり、大きな実質的な実益をもたらすであろう。

この様に述べ、日本やその他のアジア諸国との通商貿易拡大に期待を寄せるものであった。この記事が「商人」と紹介するエアロン・H・パーマーは、既に書いた様にニューヨークの弁護士であったが、その政府への度重なる献策行為やその内容が時々新聞にも載ったから、「エアロン・H・パーマー氏の長年に渡る十八番(おはこ)である」などの記述は、その内容が一般に良く知られていた事をも示唆している。他の場所にも書くごとく、ペリー提督の任命後は、このエアロン・H・パーマーとペリー提督との情報交換が何回も持たれている。

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02/10/2019, (Original since 02/10/2019)