日米交流
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History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

ペリー提督からデラノ船長宛書簡
(『ペリーを訪ねて』、中野昌彦著、東京図書出版会、2006年4月、 ISBN4-86223-017-2、P. 48-49 から引用)

ペリー提督がデラノ船長(Captain Joseph C. Delano)に送った、太平洋捕鯨に関する情報収集のため、最初に出した依頼状には次のごとく書かれている。上記著書から引用すると、いわく、

さてこのペリー・デラノ書簡である。まずペリーからデラノ船長に宛てて、「ご厚意にすがることをお許し願えると思いますが」 と丁寧な書き出しの依頼状が、千八百五十一年一月十六日付けで出されている。この依頼の理由はお会いした時に直接お話したいが、とりあえず機密扱いとしてもらいたいと頼んでいる。この時点では、ペリーの日本遠征が政府によって任命されたのではなく、個人的な水面下での資料集めや、海軍省や国務省に非公式に働きかけ始める段階だ。
ペリーの知りたい点は、太平洋捕鯨にかかわっているアメリカ船の数と資産価値。捕鯨船の乗組員平均人数。太平洋での最良の捕鯨漁場はどの辺りか。シベリアとカムチャッカ半島沿岸のベーリング海からはどの港に入るか。千島列島からはどの港か。日本領海からはどうか。タターリ(間宮海峡)沿岸、オホーツクやサハリン、そして黄海からはどうか。現在使える港以外に、何処かに更に港が必要か。長崎以外の日本の何処かに、捕鯨船が入港を許された港があるか。長崎港には捕鯨船が入ったことがあるか。もし日本の港に入港を許されたことが無かったら、捕鯨船は日本沿岸に停泊するか。また住民と意思疎通を図るか。若しそうなら、交易か何かによって新鮮な食料を入手するか。アメリカ捕鯨船・マンハッタン号のマーケター・クーパー船長の江戸湾入港について何かご存知か。若し知っていたら持っている情報をお教え願えないか。これら地域の天候の様子や利用できる設備、あるいは不便さや危険についてはどうか。以上ぜひ教えてもらいたいと丁寧に頼んだ。

 このペリーの最初の手紙は、デラノ船長と面識が無くても、同じく海に生きる同僚として、自分が知りたいことを堰を切ったように羅列し、遠慮なく聞いている。航海技術の急速な向上によって多くの船が世界中の海に航海していても、アジアにはまだ未知の海域が多くあり、おそらくこんな情報交換は良く行われていたと思う。捕鯨船は鯨を追って、商船や軍艦でも行ったことのない未知の海域へ踏み込むことは都度都度あったはずだ。

 これだけの回答があれば、日本とその近海の捕鯨の状況と、アメリカの捕鯨船の関与が分かる。ペリーは自分でも、日本遠征についての理論的根拠を構築したかったように見える。

ペリー提督は、このデラノ船長宛の依頼状をへ出した11日後、自身の日本遠征基本計画をグレイアム海軍長官に提出している。

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07/04/2015, (Original since 01/10/2015)