日米交流
Japan-US Encounters Website
History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

オランダ推奨の通商条約素案、(嘉永5年9月)

新任の出島商館長として嘉永5(1852)年6月に来日したドンケル・クルチウスは、オランダ領東インド総督・バン・トゥイストがオランダ国王・ウィレム三世の言葉を筆記したという名目の書翰を、日本側の言う 「別段風説書受け取りの手続きでなら受け取る」 との条件で、すなわち日本から公式な返事のいらない情報として提出した。

その後、この詳細内容に関しドンケル・クルチウスが説明書翰を提出したが、若しアメリカ使節を乗せた軍艦が来て強く通商を求めた場合、その要求を全く拒否するのではなく、緊急救難用に薪水食料や船修繕用の材料は供給し、決定的な確執を生じさせないための 「方便」 としての 「通商条約素案」 をも説明した。いわく、

往古より日本に敵対していない国々が日本に通商を願う時は、長崎湊への渡海を許し、次の様な条約を結ぶのが可然方策だと思う。
  1. 通商は長崎湊に限る。
  2. 相手国官吏の長崎駐在を許す。
  3. 駐在官吏の公館を長崎に造る。
  4. 外国人との交易は、江戸、京、大阪、堺、長崎の5ヵ所の商人に限る。
  5. 法令を作り、交易規則を定め、長崎湊に番所を建てる。
  6. 交易取引は、双方とも、長崎会所あるいは大阪会所の手形を用いる。
  7. 諸品の運上(筆者注:輸出入税)規定を適切に定める。
  8. 交易上、外国人との諍いが生じた場合、長崎奉行所と外国官吏との間の取扱いとする。
  9. 法を犯した外国人は、その国の規則により罰する。
  10. 日本の公的設備において、石炭保管場所は外国人が指図するものとする。
オランダ国王の思慮によれば、アメリカの願いに対しては、前条のごとくご回答されることが安全策だと思われる。
カピタン                      
  ドンクル・キユルシユス       
右の通り、和訳を差し上げます。以上。
    子 九月
西 吉兵衛 印
森山榮之助 印

この様な通商条約素案が、オランダの推奨案の骨子として説明されていたのだ。
筆者注:この詳細は、勝海舟編纂『開国起原』の中の「かぴたん差出し候封書の和解、和解提出日:子九月」を参照して下さい。)

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08/27/2018, (Original since 11/05/2016)