日米交流
Japan-US Encounters Website
History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

若松コロニーの新聞記事
(「Daily Alta California」紙, Volume 21, Number 7028, 16 June 1869、第2面、「日本人定住地 (The Japanese Settlement)」より訳出)


1848年1月早朝、このアメリカン・リバー川辺に在ったサッター製材所の大工
ジェームス・マーシャルがこの辺りで金を見付けた。この話が伝わると1849年
国内のみならず世界中から多く人が押寄せ、一大金鉱ブームが巻き起こった。

Image credit: © 筆者撮影

米国に入植し 「若松コロニー」を創るため、旧会津藩からスネルと共にサンフランシスコに着いた一行は、持参した桑の木や茶の木を植え、養蚕や製茶により生活基盤を作る農園開設のため、定住地・若松コロニーに適した丘陵地帯の土地をを見つけた。ここは一行到着の20年前、金が発見され、1849年に一大金鉱ブームを巻き起こしたエル・ドラド郡のコロマと呼ばれる町から、南へ3km程の、ゴールド・ヒルと呼ばれる場所である。サンフランシスコからは東北へ約180km程離れた、シェラ・ネバダ山脈の西側の傾斜地である。

その若松コロニーの記事が、早速サンフランシスコの新聞 「デイリー・アルタ・カリフォルニア」紙の1869年6月16日着けの第2面に掲載された。いわく、

グレイナー農場は最近日本人居留地としてスネル氏により購入され、今は会津農場になったが、プラサービルの町から4.5マイル離れた、ジョージタウン駅馬車道沿いにある (筆者注:恐らく、現在のSR・49号沿い)。土地は上質の絹と茶に最適で、彼らはその栽培のためにやって来たのだ。そこは柵に囲まれた600エーカーの土地で、7年生の大きな果樹類があり、灌漑のいらない実をつけるまでに育った5万本(あるいは3万本?)の葡萄の木や、上質作物が出来る広大な穀物畑、整った家具付きレンガ造りの家、納屋、設備の整ったワイン貯蔵棟、耕作用具一式、馬、馬車、牛、豚、鶏等々、総額5千ドル!である。水も良く灌漑には十分である。

スネル氏の目的は、「若松」と呼ばれる村造りである。各家族は小屋を持ち、野菜など作れる庭を持つ事になろう。(この後3行余り読み取り不可能。)桑の木や茶の木は摘み取りが出来るように成熟したら、各家族毎に割り当てられる。各家族は夫々の蚕に桑を与え、自分の繭を紡ぎ、その品質と数量により支払いを受ける。出来た絹糸は、輸出や国内生産者向けに出荷される。お茶も原則的に同様である。家族毎に耕作し、葉を摘み、製造所に出荷し、収入を得るのだ。こうする事で、製造所は市場に均一な品質を供給出来る。ワイン造りも、実行可能な限り、同じように慎重な作業者の区分けで行われよう。現在の所、この州で入手出来ないお茶の木や竹、木蝋等々の日本産の木々は、手広く育成と販売を手掛けられる養樹園も作られる。

竹は、その細工物に使うのみならず、我々の食卓に必要な食材として提供される。たけのこは、アーティチョークとアスパラガスの食感を有する。それはアーティチョークやアスパラガスよりもっとシャキシャキして旨く、その大きさは、たけのこ一個がアスパラガスの一束より大きい。その栄養価と消化の良さは、アーティチョークやアスパラガスよりはるかに優れている。竹は大きく育ち、この丘陵地帯は最適地である。我々がその多様性をもっと理解すれば、我が州への導入を評価するだろう。桑の木とお茶の木は、時に降る霜が木の組織の成長に冬眠を促すから、この高台では常に最良の結果を出す。移住者には製茶の技術があり、その設備もある。カリフォルニアは更に重要な産物を加え、他の国々から自立する事になる。やがてこの純正茶が、大陸を横断する大きな輸出品となろう。その上、市場の油の中で最も綺麗に燃える無煙油のチャイナ・オイルは、この茶の実から作る。それは、茶の栽培の中で重要な利益部分である。この移住地には、専属の有能な日本人内科医が所属する事を記述しておくべきである。ワニス樹脂とロウを採る木は、この丘陵地帯に完全に適応する。ロウを採るにはその木の実を砕き、煮沸すればすぐロウが分離する。ワニス樹脂は松の木の松ヤニのように、この木の中を廻る樹液である。

周りの土地には大きな樫の木が茂り、良い雨の降る証拠である。この森で、日本の樫の葉を食べる天蚕(てんさん、=ヤママユガ)も育てる予定である。この天蚕は素晴らしい絹と対称性のある大型の繭を作る。成虫の蛾は明るい黄色で、模様のある大きな羽を持つ。この天蚕は土地に馴染んでいないから、人手を掛けて葉を与えねばならない。この天蚕を森の木々に自由に這わせ、これを育てる家族はそのシーズン中は森でキャンプ生活を送る。食べる樫の葉は幼虫の好み次第だが、難しくはない。幼虫は殆んどの落葉樹の葉を食べ成長できる。転んでも唯では起きないのだ。我々はこの天蚕の絹を見ているが、優れた絹で大変伸縮性がある。その自然の色は気持ちの良い灰色で、絹の中でも最も印象的な色合いである。経験を積んだ日本人の器用さでも、水につけても落ちない染色法を見つけられずに終わっている。優れたこの種の絹は、現在の所、その自然色でも差し支えない用途にのみ使われる。人口色に染め上げる色留め剤が発見されることに疑いはないが、そうなれば、健康な幼虫と伸縮性に富んだ織布は多くの支持を得るだろう。

日本人の食材は主に魚である。キリスト教国にとって非常に新しい魚養殖は、日本では遠い昔からのやり方である。日本人は最初から、購入した土地の適した低い場所に井戸を掘り水を張った魚養殖の池作りを計画した。魚を食い尽くす天敵から保護すると、大型魚に成長する。鯉は、まれにではなく、5フィート!にも達する。人間が食べる物の中で、魚は育てるのに全く手間が要らず、こんな池の中で常に脂肪が付き多肉で、肉は特別に栄養価が高い。そんな池の水を保持するため、日本人は石灰と砂と灰を簡単に混ぜ、安価で有効なセメントを作る。

日本のワニスの木は、アメリカのくるみの木に非常に良く似ている。枝葉は少なく、あたかも繁茂していない木の様に見える。この樹液は、松ヤニの様に、樹皮に似た様な刻み目を入れた所から滲み出す。この木が一本、我が市立公園の泉の囲いの傍らに植えてある。日本人居留地では、米が自家用として収穫されるだろう。全ての米が低地の産物ではない。栄養価や風味で劣ったりしない、陸稲として知られる良質の米がある。

あるフランス人は次のように書いている。「他の東洋の人々とは違い、日本人については、何かヨーロッパ人に合った所がある。上流階級を観察できる公職に就き、日本に何年か住んでみて、彼らが劣っているとは決して言えない。男性は威厳に満ち、教育が行き届き、はなはだ礼儀正しく、勇敢で全く器用だ。女性には上品な繊細さがあり、姿形が非常に優美で、魅力的な応対をする。彼らは身なりや家の中が非常に清潔である。彼らの教養は、全く我々の標準レベルである。彼らは健康で、倹約家で、勤勉で、非常に優しい。ヨーロッパの主要都市の洗練された社会でも、多くの日本女性が自身の好みで夫を思うままに見つけられる事を我々は知っている。それは賞賛すべき日本女性の個人的魅力だけでなく、結婚生活の見地からも、我が国の美人達のように、結婚に悲惨な障害を差し挟む浪費癖がないという事でも充分支持されるものである」。

スネル婦人は日本女性で、明らかに、ここに引用した雄弁な記述を書かせたような、そんな階級の出である。

新しい文化と産業の支流の導入や、余り価値がない事でこれまで顧みられなかった土地の活用がカリフォルニアにとって有用なら、我々はこの日本からの最初の植民団を歓迎するだろう。彼らは、如何なる現存する職業の妨げでもないのだ。彼らは劣等な人種でもない。彼らは多くの重要事項に於いて、他のアジア系人種とは違っている。彼らはただちに我々の服を着て、家族を同伴し永住する家を持ち、投資をする。彼らの収入は、外国ではなく、この地に投資されるだろう。どんな不快さもなく、それ以上に彼らの態度や対応の仕方が魅力的で人の心を引きつける。彼らは何の偏見もなく、若し我々がキリスト教的やり方で我が宗教の優れた点を立証すれば、彼らは我が宗教を快く受け入れると思われる人達である。

フランス人の記述を引用し日本人であったてスネル婦人を紹介するこの記事は面白いが、「我が国の美人達のように、結婚に悲惨な障害を差し挟む浪費癖がない」などと、自分達に都合のよい表現ではある。

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07/04/2015, (Original since 08/10/2013)