日米交流
Japan-US Encounters Website
History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

ジェームス・グリン中佐の日本開国に関する意見書提出

♦ ジェームス・グリン中佐のフィルモア大統領に提出した意見書、−条約締結の緊急性とその方策−
(グリン中佐のフィルモア大統領宛書簡:32d Congress, 1st Session, SENATE., Ex. Doc. No. 59)

テイラー大統領の任期途中の突然の死去により、副大統領から第13代大統領に就任したフィルモア大統領は、大統領就任後に半年ほどして、エアロン・H・パーマーから日本開国へ向けた使節派遣を建策する直接書簡筆者注:ここに戻るには、ブラウザーの戻りボタン使用) を受け取った。この頃には、大統領就任当時の大問題だった連邦分裂の危機が、フィルモア大統領自身が支持する一時的な仲裁案 「1850年の妥協」で収まった後だったから、外交問題に注力する余裕が出来ていたのだろう。そこで、任命されたばかりの東インド艦隊司令官・オーリック提督に全権を委譲し、日本派遣使節に任命したのだ。

ちょうどその頃、日本から遭難船員を救出したプレブル号艦長・ジェームス・グリン中佐も1851年1月2日にニューヨークに帰国していたから、大統領はグリン中佐と直接会い、日本の状況やグリン中佐の長崎での経験を話し合った。グリン中佐の 「今が交渉開始のチャンスだ」と云う説明に、大統領も心を動かされ、日本に使節を送り日本開国を成功させねばと思った様にも見える。フィルモア大統領の要請でそんな会話をまとめ、書簡の形で大統領に提出したものが、ジェームス・グリン中佐の1851(嘉永4)年6月10日付けの下記書簡(典拠:上記)である。いわく、

大統領閣下のご命令により、幾日か前にお話した、合衆国と帝国・日本との間に通商を開く計画に付き、私の意見として述べた骨子を書簡として提出いたします。間もなく我が国民により二国間の通商条約締結が要求され、既に、日本に立ち寄れる石炭補給設備は、カリフォルニアと支那間に確立されるべく塾考されている蒸気船航路に絶対必要な設備であります。これら条約締結や設備構築は、若し話し合いが出来なければ力ずくででも、遅かれ早かれ達成されねばなりません。これは文明の進歩に不可欠で、人道主義の人は誰もが、必要最小限の武力で、短期間に、今ある二つの政府間の関係に必要な変更を加えねばならないと要求するに違いありません。
日本と交渉を始めるには、現状が良い時期と思います。最近の出来事(筆者注:ラゴダ号船員の救助)が二国間の注意を引き付けあってはいますが、二国民の間には、未だ冷酷な感情が生ずる程には至っていません。・・・
現今の日本政府の正確な組織についてある種の疑念があり、そして、誰が或いは何が権力を握っているか定かではありません。しかし、実質的な者にしろ名目的な者にしろ、政府の執行部を統括するに充分広範囲な指示が出されている事は間違いありません。我国は、日本の国内問題と、特に彼等の宗教につき立ち入る意思は全くない事を明確に保障する事を含め、最も受け入れられるやり方で、合衆国大統領からの国書が日本に送られるべきです。我が唯一の目的は、自由貿易とそれに関する必要な便宜です。この通信は総てに於いて、似た様な状況下でオーストリアやその他のヨーロッパ政府に送られる物(筆者注:ウィーン体制崩壊へと進んだ「1848年革命」とその後の推移時期に、オーストリア皇帝やその他欧州政府に送る如き書翰を想定か) と同様な、アメリカからの国書であるべきです。日本人を我が国民より文明的に劣ると捉える事は間違いです。若しそう待遇すれば、我々があたかも彼等に鎧兜をかぶせ、争いの中で我々の最も有効な武器を投げ捨てる様に、余りの有利さを彼等に与えます。この国書を書く上で、日本に向けた方策を決めるに当り、単なる論争や懇願をするのではなく、近い将来世界を前にして我々の行為を正当化出来ることが重要である、という事を念頭に置くべきです。文面の様式は、日本国外ではよく理解されていない公式用語に翻訳し易い様に、出来るだけ明白で自然であるべきです。今は、不満を述べるべきではありません。我が国民に対する拘留や投獄、虐待を問題視する事は将来使える利点ではあっても、最初から持ち出せば失敗に帰します。
支那に居るヨーロッパ人から、特にイギリス人から、彼等の権力と均衡をとった方策を採らない限り反対が出るかも知れません。・・・我国と日本との通商条約が達成される時は、我々だけに対する排他的特権は含めない事をイギリス政府に保障しておけば、それによって恐らく、極東のイギリス政府の代表者が我が計画に横槍を入れないよう通達を出してもらえるでしょう。そして内閣の信頼を勝ち得ていると聞くロンドンの幾つかの新聞紙面に、我が意図に賛同し成功を期待するという記事が載れば、この様な予防策無しにはこの計画進行の非常な妨げになると云う障害を排除できます。
オランダも同様に、全文明国の中でも彼等だけが親しく日本と貿易をしているその影響力を行使して邪魔をする力が非常に強いので、懐柔して置かねばなりません。・・・若しオランダを真の友好国に変えられなくても、我々に対する友好的気分にさせる事が目的で、プレブル号が長崎に入港した時のオランダ商館長であった J・H・レフィスゾーン氏を介し、それはごく自然に達成できるに違いありません。・・・日本政府の中枢から指示を受けるのにグズグズ時間を掛けず捕虜を取り戻せたのは、地方官(筆者注:長崎奉行所)に対すする彼の影響力のお陰だと思っています。・・・
これら、我々の計画を困難におとしめる力を持つ連中を味方に変える予防策を採った後、次の対策は国書を届けるに適切な人物の人選で、日本の外交方針を変えさせようとする最初の試みの成果は、全く以てその人物にかかっているからです。この人物は熟達した判断力の持ち主で、日本の様に全く特異な境遇で暮らす民族と特異な構成を持つ政府と交渉している時、突然に、思いもよらずに置かれてしまう不愉快な立場から、機転を利かせ状況を理解し、そこから脱出できる人物であるべきです。この人物は、我慢強く苦しまない様な状況を選びながら耐え忍び、日本の役人に対し、自尊心を傷つけるような儀式ばった防御を強要する如何なる試みをも跳ね除ける精神力を持つ人物であらねばならないのです。この人物は、如何なる状況下に於いても軍艦に何が出来るかを知り、不測の事態に於いて、また交渉の性質上の予期せぬ展開に於いて、その軍艦を使って何をすべきかを知り抜いた海軍士官であるべきです。この人物は、友好裏の国書を平和裏に携帯する訳ですが、本政府により必要と見なされた事態に遭遇すれば、その帝国に対し敵対するに最善の方法をも検討すべきです。更に可能ならば、この国書をその国に持参し、手渡すべき地方政府の最高位の長官に、個人的に手渡す権利を主張すべきであります。・・・
筆者注:グリン中佐は、琉球で直接ビドル提督の日本での悪評判を聞き、長崎の守衛も悪口を言っていた事実を救出したラゴダ号水夫からも聞いたので)海軍省への問い合わせで、この(筆者注:ビドル提督関係の)書類も前に述べた火災で失われていて、(筆者注:日本で何が起こったのか)憂慮する理由が在ることを知りました。私は、(筆者注:日本の返書と見られる)この書類の翻訳を広東の合衆国公使館の記録の中に見付けました。それは正に翻訳の真のコピーで、若し私に間違いが無ければ、それには日付けや署名も無く、公式書類と見なすべき何物もありませんでした。・・・
このビドル提督へ(筆者注:日本側の)公式返書として与えられた書類の翻訳は、翻訳能力など無い人物として広東では良く知られた支那人が行っています。このアメリカ公使館の翻訳書中の最後の文面は、「可及的速やかに退帆し、二度と日本には近づくな」と言い、全く不愉快な表現で、原文が正確に意味するところは何なのかという特別な疑問が湧いてきます。・・・
筆者注:日本の返書と云う)この書類は、将来、我々の日本との接触の歴史の中で重要な部分に成るとも思われるので、多分原文コピーが広東の誰かによって保管されているかも知れず、出来たら手に入れ、翻訳書と共に将来の参考のため政府の記録に残すべきです。非公式に見える返書がビドル提督に公式書類として(筆者注:日本側から)与えられたと云う私の仮定が正しければ、大統領の熟慮された国書の携帯者はこの事実に基ずき、前回は偽られたので、唯一信頼できる伝達方法として、国書を日本政府へ自ら手渡す事を強要して良いでしょう。

この様に非常に示唆に富み且つ具体的な建策内容であるが、「本官にその使命をお与え下さい」と云うグリン中佐の声が聞こえそうな内容でさえある。また筆者には、このグリン中佐の意見が、日本に向けたオーリック提督やペリー提督に託されたフィルモア大統領の国書に色濃く反映され、ペリー提督の作戦中にも見える様な気がする。

この、日本の現実を見て現場を体験してきたグリン中佐の鋭い観察に基づく意見は、日本を見る視点が上述のエアロン・H・パーマーとは大きく違う。パーマーが 「彼らが我が同胞に加えた不法行為に対する賠償を即座に要求し・・・」 と言うのに対し、グリン中佐は 「我が国民に対する拘留や投獄、虐待を問題視する事は将来使える利点ではあっても、最初から持ち出せば失敗に帰します」 と云うものだ。確かに日本側には、最初からアメリカ人の遭難船員達を救助こそすれ危害を加えようとする悪意が有った訳では無かったのだから、この約3年後に来航したペリー提督との交渉の場筆者注:ここに戻るには、ブラウザーの戻りボタン使用) で、遭難船員救助に関する林大学頭の説明に納得したペリー提督の採った方針は、グリン中佐の意見により近く、それ以上の追及や賠償などには触れなかった。この時のペリー提督は、まさにグリン中佐が上記の書翰で指摘する如く、 「この人物は、如何なる状況下に於いても軍艦に何が出来るかを知り、不測の事態に於いて、また交渉の性質上の予期せぬ展開に於いて、その軍艦を使って何をすべきかを知り抜いた海軍士官であるべきです」 と言う通りの適役だった。

元のページに戻る


コメントは 筆者 までお願いします。
(このサイトの記述及びイメージの全てに著作権が適用されます。)
02/20/2018, (Original since 08/21/2014)