日米交流
Japan-US Encounters Website
History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

兵庫港・新潟港の開港と江戸・大阪の開市

幕府が安政5(1858)年6月19日にハリスと調印した日米修好通商条約は、イギリス、フランス、オランダ、ロシヤとの通商条約のモデルになった。この條約に基づき翌安政6年6月から横浜、長崎、箱館で通商条約に基づく自由貿易が始まったが、朝廷の勅許を得ずに始めたと尊皇攘夷が叫ばれ、国内が紛糾し、ロシヤ人やオランダ人が横浜で殺害され、アメリカ公使・ハリスの通訳官・ヒュースケンまで万延1(1861)年12月4日芝の赤羽橋付近で殺害された。このまま推移し、文久2(1862)年11月に予定されている江戸や大阪の開市、兵庫や新潟の開港が始まれば事態は最悪になると憂慮した幕閣は、遣欧使節・竹内保徳をイギリスやフランスに派遣し開市・開港の延期を交渉させた。幸運にも使節一行は文久2年5月9日、イギリスの外務大臣・ラッセル卿と5年の延長協定を結ぶことが出来た。そして他の条約国もこれを受け入れた。

さて今回、この延長した開市・開港期日が迫ってきたので自国内に布告を出したいと、イギリス公使・ハリー・パークスは幕府にダメ押しをしてきたのだ。そして貿易に必要な土地の確保や税関及び港湾施設の建設もしなければならないと交渉も始めた。将軍・慶喜も大阪で列国公使を謁見したし、大阪や兵庫港での貿易開始の準備のため夫々の公使たちは軍艦を引きつれ大阪・兵庫に集まった。

兵庫開港の勅許は必ず取ると自信を見せる将軍・徳川慶喜の幕閣たちは、アメリカのペリー提督と日米和親條約を交渉して以来15年の外交経験から、すでに外交処理やその事務手続きには十分な知識と能力を身に付けていたようだ。それまでの将軍・家定、家茂の時代と違い、外国奉行や幕閣の交渉態度は非常に明確で協力的になっていた。更に横浜開港も経験済みの幕府は、土地の選定から規則に到るまで、てきぱきと処理することが出来た。

当時のイギリス公使館の通訳官・サトーは、兵庫や大阪で貿易を始める準備について、

兵庫と大阪の居留地を造るに当たり整備すべき規則や、外国人に貸与されるべき土地に関する規定や、各地で組織されるべき自治体造りなどにかかわり、毎日が忙しかった。ハリー卿は各国の外交官の中で最も実務的な人物として、これらの全てが彼の双肩にかかっていた。日本政府は明らかに各国外交官を親切に助け、交渉事は例のないほど滑らかに迅速に運んだ。今まで江戸の公式会見では常にあった(我がチーフが熱くなり怒りを募らせるのと対照的に、鈍感で鉄面皮でほとんど興奮もしない日本の幕閣、という雰囲気で行われた)怒りに満ちた会話と興奮した論争はもはやなかった。新将軍の命により、全く新しい路線が敷かれ、真剣な努力が友好条約を現実的なものに変えてきた。

と書いている。恐らくこれで新しい動きが出来る、と希望さえ感じたようだ。

また慶応3(1867)年3月下旬、将軍・慶喜は諸外国公使と大阪城で正式に謁見したが、その態度は公使達から非常に良い印象を持たれたようだ。謁見に先立って計画された非公式会見と晩餐会に参加した通訳官・サトーは、パークス公使と将軍・慶喜の間に座り通訳を務めた。サトーはこの時の様子を「将軍はかなりの容貌の持ち主で、秀でた額と形の良い鼻を持ち、私がかって見たどんな日本人より最も貴族的な容貌の持ち主の一人で、いわゆる紳士だった」と書き、晩餐会では将軍のためにウイスキーのお湯割りを作ってあげたと書いている。当時良く飲まれた、少し砂糖も加え口当たりを良くした飲み物だ。かっての将軍たちが見せたこともない将軍・慶喜の態度を好もしく思い、いつも辛口で見下した強引な行動に出るパークスも、自ら得意の支那での経験を生かし、毛筆で慶喜のために「四海之中皆兄弟」、「天下泰平」と揮毫する余興も披露したという。

この謁見の後、懇意にしている薩摩藩の西郷吉之助一行が様子を探りにサトーを訪ねたが、サトーは、

西郷たちは我々と将軍の和解に不満だった。そこで私は、あなた方の改革の機会が失われたということでもないが、若し兵庫がいったん開港されたら、その時は改革派大名たちの機会はないだろう、とほのめかした。

と書いている。これを見るとサトー自身は、自国イギリス政府の公式な外交ポリシーに反し、改革派の薩摩藩に強い影響力を与えていたようだ。

将軍・慶喜はこの2ヵ月後朝廷を何とか説き伏せ、摂政・二条斉敬に「萩藩処分を寛にし、兵庫開港を允す」と兵庫開港勅許を出させたが、島津久光はこれを幕府の専横と激しく論陣を張り始める。そして日本の状況は、坂道を転がり落ちるように大きく変わるのだ。

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07/04/2015, (Original since 11/30/2008)