日米交流
Japan-US Encounters Website
History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

将軍・徳川慶喜の印象

♦ バン・バルケンバーグ公使の新将軍・慶喜に対する印象

徳川慶喜は慶応2年12月5日、即ち1867年1月10日、征夷大将軍に任じられたが、大阪城に各国公使を招き、新しい「大君」として夫々に謁見した。アメリカのバン・バルケンバーグ公使も大阪に来て、慶応3(1867)年3月29日大君との謁見式に望んだ。この時バン・バルケンバーグ公使は将軍・慶喜の態度に今までに無い新鮮さを感じ、非常に強い印象を受けた。この謁見式と直後の歓談での印象を一種の高揚感をもって、1867(慶応3)年5月6日付け書簡で自国のスーワード国務長官に報告している。いわく、

拝啓、今回私の一連の報告書の第20号に記載の通り、ゴールズボロー海軍大佐指揮下の蒸気軍艦・シェナンドア号で、既報の如き先月25日、26日ではなく、29日に(筆者注:横浜を)出航し、今月1日の午後、当地(筆者注:大阪港)に到着しました。・・・前報第20号の添付書第2号でお分かりの如く、大君は今月の早い時期の公式謁見式に私を招待していました。・・・しかしながらイギリスとオランダの代表者達は先月15日に、フランスの公使は先月23日に江戸を立っていましたが、大君との謁見を行えたのはやっと今月2日の事でした。・・・
謁見式当日(今月3日)の午後3時、ポートマン氏、私の私設秘書・ラムゼー大佐、ゴールズボロー海軍大佐、ワイオミング号艦長・カーペンター海軍少佐、シェナンドア号乗り組み・ミード軍医、国旗警護の水兵隊などを伴い大阪城に向かい、その後には日本歩兵の数隊が従いました。
外交担当の御老中始め多くの高官が大阪城の入り口で我々を待ち受け、大君の親衛隊による太鼓連打と捧げ銃の中を幾つかの長い回廊を案内し、お茶の準備をしてある大きな控えの間に入り、次いで謁見の間に入りました。暫くすると、ただ1人の太刀持ちを従えただけの大君が入ってきました。先任御老中による紹介の儀式の後、大君との話が始まりました。
ここで一人の若い通訳の話を入れますが、彼は1860年の日本遣米使節の訪米時、トミーと言う名で大変な人気者となり、帰国後は工兵隊長として軍務に就きましたが、今また大君と私との間で昔の通り通訳の任務に就いています。そして私だけではなく、私に従って来た士官達が大阪に滞在中は同様に日本政府の賓客でありますが、こんな重要な儀式に於いてさえもむき出しにアメリカびいきのこの若い通訳の存在は、遣米使節が享受した寛大な厚遇をここでは全く素晴らしい記憶としてまだ良く覚えていると云う証拠であり、更に、私と随伴する士官達にこの国が出来る限り尽くしてくれる厚遇は有り難く受け入れねばならないと思い、従って、思いやりを持って出されたものとして率直に受ける事にしました。
大君は31歳で、非常に好印象を抱かせる人物です。この人物は紳士であり、純真な気品に満ち、全くの育ちの良さが漂い、知性が備わり、気取らなくても立派であります。我々の会話は主に我国の陸軍と海軍の話題になりました。主に彼の方からの話でしたが、この話題について非常に良く知っていました。
良くご存知の様に、以前のやり方は、外国代表者は大君の顔を見る事は出来ませんでした。過去の約5年間、大君は如何なる外国代表者とも公式会見を持ちませんでした。今回の友好的な謁見で私は、大君と直接顔を合わせたのみならず彼の右隣に座りましたが、それは日本人とのかかわりの中に現れた素晴らしい変化の徴候であり、これは会見後の非常に素晴らしい宴会も含め、比較にならない程私の心を打ち、進歩の光の中にあるように見えました。
友好的な会見は1時間ほども続き、その後我々は暫く控えの間に通され、続いて宴会広間に通されましたが、大君も現れテーブルの首座に着きました。そして外人コック達により準備された素晴らしい料理でもてなされ、9時頃までその席に居ましたが、大君は30分ほど早く退席しました。
翌日、今月4日、私の信任状を届ける目的で、私は指定時間に正装した多数のスタッフを引き連れ大阪城を訪れました。添付の第1号書式にある如く、大君に対する私の挨拶をし、第2号書式にある如く、大君の返答がありました。・・・

この様に書き、以前の将軍達とは打って変わった将軍・慶喜のリベラルな対応を、「進歩の光がさしてきた」と満足げに報告している。
(典拠: Papers Relating to FOREIGN AFFAIRS, Accompanying the ANNUAL MESSAGE OF THE PRESIDENT to the Second Session Fortieth Congress. Part II. Washington: Government Printing Office, 1868

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07/18/2015