日米交流
Japan-US Encounters Website
History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

オランダ領総督・バン・トゥイストからペリー提督宛ての書簡

 アメリカ政府からオランダ政府への頼みごとの処置について
(33d Congress, 2d Session. Senate. Ex. Doc. No. 34)

アメリカ政府がヘーグ駐在のアメリカ代理公使・フォルソムを通じ日本に伝えて欲しいとオランダ政府に依頼した、日本に向けた通商交渉使節の派遣とその平和的な目的は、オランダの新商館長・ドンケル・クルチウスが日本に向けジャワを出発した後に本国政府からジャワのオランダ領総督・バン・トゥイストの手元に届いたので、その時は日本に届けていない。バン・トゥイストは、この旨を記した1852(嘉永5)年9月22日付けのペリー提督宛書簡に、クルチウスに宛てたオランダ政府の協力約束を記述した書簡を添付して送り、若しペリーが必要なら長崎でクルチウスに添付書簡を見せ、協力を得て貰いたいと告げた。このバン・トゥイスト書簡いわく、

Poerworedje, (Java,) にて、 1852年9月22日   
拝啓、まさにアメリカ艦隊が日本列島に向っており、その全く友好的な訪問が成功するよう、ヘーグ駐在アメリカ合衆国代理公使の去る7月2日付け書簡により要請され、更にその結果としてオランダ政府が約束した如く、オランダの出島商館長に命じ、その力の及ぶ限り支援させるよう、我が政府からの通達を受理しました。
元オランダ・インド領の最高裁判所判事を務めた、新任された出島商館長の J・H・ドンケル・クルチウス氏は最近日本に向け出発しましたが、この新商館長には、今まで日本帝国と平和共存してきた全ての国家に等しく恩恵を与えるべく、その鎖国制度を変えるよう、日本政府に強く勧める方針が指示されている事実を述べたいと思います。
しかしながら新商館長の出発当時、オランダ・インド領政府にはアメリカ政府の意図に関する何の公式指令もなく、特に平和と友好をもってこの企画を進めるという合衆国政府の意図を伝達すべき公式命令を、彼の商館長に与えることが出来ませんでした。
私は、上述した我が政府からの情報に接したとき、我が政府の合意に基づき出島商館長宛にこの指示を届けるため、オランダ国王陛下の軍艦の一隻を再度日本向けに派遣することが必要なのか、又は有用なのか、自問自答しました。
充分なる熟慮の後、私はその自問に対し否定的な回答に帰結しました。特に現時点、現況下におけるオランダ軍艦の派遣は日本政府に疑義の念を起こさせ、既にオランダと日本との交渉が開始されていれば、その交渉に不利な影響を及ぼす事を懸念するからであります。
しかしながら、若し貴提督が貴方にとって好都合であり、その結果好機会をもたらすと思われるなら、オランダ政府により合意された如く手配することが私の義務と考え、貴提督が出島商館長の協力を必要とする場合に商館長に手渡せるよう、私は彼に宛てた書簡を本書簡に同封します。この同封書簡は、オランダ政府により合意されたごとく、貴方政府の要請に関する必要な指示を含むものです。
我が二カ国政府により現在意図されている目的に関し、若し出島のオランダ商館長が既に日本政府と交渉を開始していれば、ご承知のごとく、アメリカの日本遠征は完全に友好と平和だけを掲げた性格のものではないため、アメリカとオランダが協力関係にあるという如何なる証拠でも露見すれば、これらの交渉の妨げにならない事はないという事実を述べさせて頂きます。
私の特別なる熟慮を保証しつつ。
敬具。   
デュイメアー・バン・トゥイスト、
オランダ・インド領総督
A・プリオンズ、事務総長    
ペリー提督殿
   日本向けアメリカ艦隊司令官

ペリー提督は、日本行きの前にこのバン・トゥイスト書簡を広東で受け取った。その旨を上海から1853年5月6日付けの書簡でコピーを添えて海軍長官に報告し、「この書簡の意図は明白ではありません」と記述し、更に「日本の情報は非常に少なく、噂では、日本政府はオランダ人の助けで、アメリカの戦争に似た如何なる示威行為に対しても広範な防衛準備をして来ていると言う事です」と報告している(33d Congress, 2d Session. Senate. Ex. Doc. No. 34.)。ペリーの心中には、こんなオランダに頼る考えは毛頭なかったわけだ。ペリーは日本に派遣される前からオランダを嫌い、「長崎でオランダは奸策をめぐらし、うまく影響力を行使しながら、他国の日本政府との交渉を阻み・・・」と非難していた。これに関しては、ペリー提督の独自の基本計画筆者注:ここに戻るには、ブラウザーの戻りボタン使用)を参照してください。

オランダ領総督・バン・トゥイストはこの書簡でペリー提督に率直に事実関係を伝えてはいるが、嘉永5(1852)年に新商館長・ドンケル・クルチウス提出の『別段風説書』筆者注:ここに戻るには、ブラウザーの戻りボタン使用)に出て来る通り、海兵隊をも乗船させたアメリカ蒸気軍艦とその武力を誇る威容に、「完全に友好と平和だけを掲げた性格のものではない」と、ペリー提督に懸念をも表明したのだ。アメリカとオランダ政府は善意の協力を約束したが、現地の責任者同士、即ちこのオランダインド領総督・バン・トゥイストとアメリカ使節・ペリー提督とは、書簡の最後に出て来るように、利害対立で、時には「鞘当て」でカチカチと火花を散らすこともあったのだ。これはとりもなおさず、それまでの日蘭貿易一本の関係から、国家間の政治も絡んだ日米蘭の外交問題になって来たからである。

上記バン・トゥイスト書簡に出て来るオランダと日本との交渉では、既に書いたように、出島商館長・ドンケル・クルチウスは日本側に 「通商条約素案」 を説明し、幕閣にも届いていた。

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05/30/2019, (Original since 03/12/2018)